前回書いた相撲ゲームと同時期に、もう一つアプリを作っていた。「POUCHES」という計算ツールだ。Excelを開くほどではないが手書きでは計算できなくて電卓が面倒だ、という場面がある。そこを埋めるものが欲しかった。Excelは万能だが、万能すぎる。セルに数字を入れても、数式やSUM関数を書かなければ足し算すらしてくれない。「足せ」と命令して初めて足す。素人には案外敷居が高い。しかも、見た目ではその数値が手入力なのか数式の結果なのかもわからない。参照関係を矢印で描いたら蜘蛛の巣になるファイルも珍しくなかろう。
一方、手書きのメモは自由だ。紙の上に数字を書いて、丸で囲んで、線でつないで、と頭の中にあるイメージをそのまま写せる。しかしハリーポッターの世界ではないので、手書きメモは勝手に計算してくれない。そこで電卓を併用するわけだが、こちらは最終の結果しか残らないから、途中の数値が間違っていたときそこだけ修正するわけにはいかず、最初から打ち直し、となった経験は誰しもあるはずだ。
ならば、数字を物体のように扱えるアプリを作れないか。置けば足される、囲めばまとまる、動かせば所属が変わる。おはじきを並べるような感覚で計算できたら。そう考えて生まれたのがPOUCHESだ。数値を「パウチ」という円で表現し、ドラッグで動かす。パウチは値と個数の二元構成になっていて、値に個数を掛けたり割ったりできる。パウチを四角で囲むと「グループ」になり、自動で小計が出る。過程がすべて見えているから、個々のパウチの数値を変更すれば、合計は自動で再計算される。グループは入れ子にもできるし、複数のグループにまたがる「わたり」もできる。同じパウチを別の切り口で集計できるから、いろいろな分析に使える可能性を秘めている。
開発で挑んだのは、アナログとデジタルの融合だ。マウスやタッチで増減等の基本操作を行えるようにしつつ、慣れた人向けにはコマンド的な時短技も用意した。たとえば「++15000」と入力すれば現在値に加算、「56*?=800」と打てば答えから個数を逆算してくれる。パウチを長押しすると、1秒ごとに「ちぎる」「はんぶんこ」「複製」と操作が変化する。また、別のパウチに重ねるように置いたら、合体する。履歴はすべて保持され、無限に遡れる。常に表データも生成され、コピーしてExcel等に貼り付けられる。パウチの全体図をファイルに書き出して他の人に送ったり置いておくことも可能だ。アナログな触感とデジタルの仮想性を両立させたかった。
開発中に面白い発見もあった。循環参照の挙動だ。グループの合計を別のパウチとして取り出す機能があるのだが、それが互いを参照し合うと循環が生じる。Excelならエラーが出て止まるだけだが、POUCHESでは、フリーズせず計算し続けるという現象が起きた。0.6秒ごとに数値が膨らんでいき、上限に達するとパウチが震え続ける。その間も操作はできる。あえて計算能力を削いで遅くしてみたことで生じた偶然の産物だが、止まらない数字の膨張ほど、雄弁なエラーメッセージはない。
用途としては、見積や予算組み、人員の配置調整、獲得票数のシミュレーションなどが考えられる。カロリー計算や子供向けの算数学習にも使えるかもしれない。画面をそのまま見せれば説明資料にもなるから、クライアントとの打ち合わせでも重宝するだろう。
こうした「物理メタファーの計算への適用」は、言葉にすると単純だが実装は極めて複雑だ。囲んだら足す、入れ子なら階層計算。こうした「人間の直感に寄り添うロジック」は、従来の開発手法では仕様化すること自体が難しかったが、AIとの対話による開発がこれを可能にした。「囲んだらまとめたいと思ってほしい」「長押しで段階的に操作を変えたい」。こうした言葉をそのままAIに伝え、壁打ちしながら形にしていける。仕様書という翻訳作業を経ずに、人間の感覚をコードに落とし込める。
ところで、最近はこんな声も聞く。「その思考過程も含めてAIに全部任せればいいのでは」「自分で手を動かすソフトなんて、もう不要では」。確かにAIに質問すれば答えが返ってくる時代だ。なんだってAIに計算させればいいという考え方もあるだろう。事実、「ソフトウェアの終わり」などという言葉が行き交い始めている。
だが僕はあくまで「自分で考えることを促すツール」を作りたい。AIが答えを出すのではなく、人間が思考するのを助ける道具。POUCHESは、数字を並べて、眺めて、動かして、自分の手で答えにたどり着く。その過程にこそ価値があると思っている。
これまでの四十数年、コンピュータは人間に適応を求めてきた。キーボードに慣れろ、コマンドを覚えろ、関数を使いこなせ。でもAI時代には逆ができる。「パーソナル」コンピュータの名にふさわしい道具を作り、操れる時代がようやく来たのだ。AIの凄まじい力を、答えをもらうだけに使うのは勿体ない。自分で考えるほうがよほどリッチな体験なのだから。
2026.02

