Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#46

努力や熱意は簡単に成就しないからよいのだとと思う

鉄道ネタを1回挟んだが、相撲ゲームを番付システムの観点から論じるという本筋を忘れてはいない。「相撲王国」を作り始めて1年になる。自動化されて高速なAIによるアプリ開発で、1年は長い。そのうち半年は、取組ロジックを突き詰めるために使った。前々回に述べたような、バランスゲームとしての「ゲームバランス」(駄洒落ではない)を、試行錯誤しながら形にしていく時間だった。偶然が起きつつも、同じパターンで勝ち続けられるのを避けたい。かと言って優勝の可能性ゼロでも困る。簡単すぎず難しすぎず。これに苦心した。

ようやく取組が形になり、もうひとつの根幹となる「番付システム」に着手できた。番付は「勝てば上がり、負ければ下がる」という単純かつ過酷なな論理で動くが、従来の相撲ゲームは幕内下位あたりから始まるものが多く、出世物語と言ってもその半分以上はバイパスしてしまっていた。「相撲王国」では、本来の出発点である「番付外」、つまり前相撲からスタートすることにした。そこから幕下、十両、幕内と一段ずつ登るからこそ、出世の意味が変わり、勝敗が重たくなる。

そのためには「力士の世界」をまず作らねばならない。幕下以下は膨大な人数の力士がひしめく場だ。少し枚数を現実よりスケールダウンさせたが、それでも番付外から横綱まで約300人以上の力士を作ることになった。四股名、出身地、所属部屋。息子や友人にも無茶ぶりして案を募集した。「槍杉田」など、ふざけているが全然なくもない、という温度感を心掛けた。昇進・降格のロジックは可能な限りリアルに寄せた。下位は出世幅が大きく、勝ち越せば一気に上がる。一方で、大関・横綱の昇進は関脇以下とは全く異なるルールに基づく。大関は直近三場所33勝が目安だが、相撲王国で11勝を挙げるのは本当に難しく、作者でも少し油断するとあっさり負け越す。大関挑戦の場所で突然調子を落とす不思議さの正体を、自分自身の指先で体験しているようで、ある意味で開発者冥利に尽きる。

横綱昇進ともなれば、2場所連続優勝、あるいはそれに準ずる成績。ゲーム内では直近2場所で26勝を基準にしたが、13勝を2回というのは、奇跡に近い。達成できたのは膨大なプレイ回数の中でたった2回。どこかゾーンに入っているような感覚にならないと無理な領域だ。

この難しさの背景にあるのは、「地位に応じてこちらの能力値は一切上がらない」という設計だ。僕がこだわった点の一つでもある。出世して強くなるのは自分ではなく相手。上に行くほど壁が厚くなる構造は、本物の相撲に近い。また、このゲームには「連勝していると負けやすくなる」といった補正も一切していない。あくまで確率論の積み重ねだ。ただし、入門から十年を過ぎると、押す力がじわじわ落ちていくようにはしてある。力士の人生に衰えは避けて通れないからであり、番付を上げていくチャンスにも限りを設けたかったからだ。

ところで、久々にプレイしたり、昇進がかかった場所だったりすると、このゲームは驚くほど勝てない。わずかな角度や一歩の速さが命取りになるため、判断の繊細さが問われる。そこで、番付システム搭載前の単純なプレイモードを「稽古」として残した。番付に関係のない場所で十番ほども練習すると、「相撲勘」が戻ってくる。これは現実の力士にとっての稽古の役割とも通じている。強くなるというより、状態を「整える」ための時間である。勝敗だけでは語れない「身体感覚の積み重ね」を稽古で体感してほしい。

こうして客観視すると、「相撲王国」の開発は、「デジタルでアナログを描く」試みでもある。計算で動いているはずなのに、実際に手を動かすと妙に人間味がある。勝負どころで手が硬くなる感覚、連勝中の軽やかさ。そうした「揺らぎ」をどう再現するか。これはちょっとしたアートの営みとも言えよう。

そうしてできた、不確かで近道のない世界。努力しても報われない日があり、なぜかするするとうまくいったりもする。あれこれ工夫しては挫折し、また挑戦する。だからこそ、昇進を掴んだときの感動は格別だ。ゲームでありながら、人生の縮図のような瞬間がふと立ち上がる。このゲームを楽しむには、本物さながらの我慢が必要なのだ。あきらめずにやってみてほしい。そういうのはあまり今どきウケないのだが。

そしてデジタルの画面だけで完結してしまうのではなく、本物の力士、ひいては相撲の世界に興味を持ってもらいたい。テレビ中継にチャンネルを合わせれば、親方衆の解説がプレイ前より少し理解できるはずだ。興味関心が高じれば、実際に観戦に足を運び、新しい人間関係も生まれるかもしれない。一人遊びの閉じた世界を作るのではなく、むしろ外界へ飛び出すための扉になる。「相撲王国」が誰かの趣味を一つ増やすきっかけになれば、これまで語ってきた「哲学」らしきものを少しは体現できたという手応えになる。

2025.12

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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