Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
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#34

Windowsは、生成AIを持て囃し過ぎていると思う

先ごろMicrosoft(MS)が発表したWindows 11の新UI。Windows Co-Pilotコーパイロット(副操縦士)と銘打ち、文章作成はもちろん、設定へのアクセスなどにおいていつでもAIに質問できるサイドバーを画面右端に表示できる機能を発表した。今後のリリースで搭載されていくと思われる。

MSはすでにWordなどのOffice製品、ブラウザのEdgeにも、同様のサイドバー機能を搭載している。わかりやすい機能増強に、アーリーアダプター層もIT界隈も前向きな評価をしているが、僕は、OSというひとつ上層に搭載されるバーと各アプリにでてくるバーの併存により混乱を来さないか、という心配が先立つ。なにせ、ふだんお世話している高齢者のPCユーザーだと、いまどのウィンドウがアクティブなのかすら正確に把握できない人が多いのだ。

これに対して、Appleは不気味なほどだんまりを決めている。もっぱら発表している新分野はARだ。ChatGPTについても、AppStoreアップストアでのサードパーティーアプリの提供にとどまっている。MSはOpenAI社と提携している、Appleにとってはさほど生成AIへの乗り遅れが死活問題にならない、といった理由に加え、まだ生成AIを人間が操作するに最適なUIの形が定まってなさすぎるというのがありそうだ。Appleは欠点を多く抱えていたり、あとから大幅な変更を余儀なくされるような製品の投入を嫌う。ユーザーに文句を言わせて揉んでいこうとするMSは対極的だ。

MSの猪突猛進型の製品開発は、一概に否定されるべきではないと思う。しかし、こと生成AIについては、前回言及したように、ITの有力者、学者らからも開発の加熱を危ぶむ意見が続出している。それを踏まえれば、とりわけ慎重であってもよいのではないかと苦言を呈したい。ともすれば人間を生成AI漬けにして、自分で考えるべき機会まで奪う結果にならないだろうか。

そもそも人が自分の頭で考えようとする条件は何だろうか。目の前に危機が迫っていれば、脳はフル回転し、その回避に努めるだろう。危機がない場合でも、当座の目的や、こうあればよいのにという理想があれば、そのために順序立てて考える。ただしそれには、自分に思考力があるというある程度の自信が必要だ。

つまりその逆は、思考の外注または停止の状態だ。差し迫る危険がない、目的も理想もない、そして考える自信もない。こうなれば、自分で思考するコスパは悪く、享楽に身を委ね、疲れたら寝ている方がマシとなろう。

AI研究者で、かつてGoogle研究部門の責任者を務めたメレディス・ウィテカー氏は、ChatGPTを始めとした生成AIを「もっともらしいことを言う親戚のおじさん」に喩え、特に学問に使う危うさを指摘した。この形容は、僕が使ってみた感覚からも強く同意できる。ただ、人間は万能でないので、もっともらしい言葉すら繰り出せない分野、場面もある。そのようなときに利用することで、生活の中で「赤点」を取る場面がほとんどなくなる可能性はあるだろう。しかし、AIに依存する比率が高まれば高まるほど、すなわちずっと思考の外注や停止が続くわけだから、AIが出す答えに逆に操作されてしまう恐れが増す。

そうすると、「赤点」を取ってしまうような弱いところに生成AIでテコ入れをし、なんとか及第点獲得に持ち込む。元々それ以上の評価を得られるところは自分の力でなんとかする。このような塩梅が良いと言える。ところが、ここには一つ大きな落とし穴がないかと感じ始めた。たとえば僕の場合、契約書を作るための知識が不足しているので、AIにその作成を依頼する意義はあるだろう。しかし、出てきたものを見て、それが真っ当なものかを判断することができるだろうか。文章の体裁が一見して整っていれば、大きな問題があっても、その分野に疎い人間が発見するのは限りなく難しいのではないか。

かくして、生産性向上のために生成AIを安易に使うのは結局危険だという結論に至る。だんだん怖くなってきた。多くの専門家が警鐘を鳴らす意味も改めて理解できる。となると、たとえば「この骨子で小説を書いて」など、まさに名前の通り「生成」の部分に使うおもちゃにする、というくらいが案外妥当なのかもしれない。少なくとも、AIを取り巻く法整備も人権意識も確立されていない今は。

視点を変えれば、適材適所の利用ができる人と、大部分をAIの判断に依存する人に選別されてしまう、過酷な時代が来るかもしれない。まさに「親戚のおじさん」との付き合い方を間違わないよう、個人それぞれの意識付けが重要だ。以前「人間の能力は道具と不可分だ」と書いたが、道具が悪ければ負の値を掛けることになる。そして生成AIが、よく使えばプラスだが間違えば大きなマイナスをもたらす鋭利さを持ち合わせていることは、昨今のブームを見ても明らかだ。その点、矢継ぎ早にAIの利用を推してくるWindowsの動きを、ここしばらくは注視していかざるを得ない。持ち上げ過ぎには、ユーザー自身が適切に批判を加える必要がある。AIにAIの監視を外注してはならないのだ。

2023.06

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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