Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#31

新しい文武両道」が、パソコンを昇華させるエンジンだと思う

前回は、パソコンがより健全に人間と共存していくために、パソコンがどのように進化したり適切に制限されたりすべきか、昔発明され現在まで生き延びている主要なツールと対比して考えた。では、我々ユーザーは、どのような心構えや距離感でITを捉えるべきか。

ここでひとつおさらいしておきたい。僕がパソコンの「悪用」と表現したのは、人間の必要な能力を退化させたり、自分や他者を傷つけたりするように作用することを期待して人がパソコンを使うことを指してだ。こうならない方策を検討している。

古くから、学問と武道を両立する「文武両道」という言葉がある。より抽象的にすれば、脳内を主とする活動と、フィジカルな感覚の両方を兼ね備える、またそれがあるべきことだという教訓とも言える。両者のいずれも他方を優越しないし、また一方が他方を減殺させず、相乗効果を発揮するものと考える。どちらが欠けてもダメだ。

この「文」と「武」を、デジタルとアナログに置き換えてみると、どうか。

たとえばネット空間上のゲームのみに居場所を見出し、自室から出てこられなくなることは、まさにこの「新しい文武両道」に真っ向から逆行することになろう。ここまで行かなくても、直接会ったり電話した方がよいことがらをメールやインスタントメッセージなど活字のやりとりで済ませたりする行為は、生活の中でよくあることだ。

しかし、予測変換で出てきた文字列や、ツールが用意したスタンプで交わされる内容に、声色など否応なく出てくる個体差のようなものはない。だから誰がその内容を入力してもよく、その主体は無色透明、代替可能なのだ。眼前の些細な面倒臭さを回避するために、このようにして人間同士のつながりをどんどん希薄化させている。そうなったら、次は他者にも代替可能性を求めるようになる。こうなれば、常にその存在は他者に取って代わられる脅威にさらされ、自信もなにもなくなる。個々人の代替可能化、これが人間の退化の最たるものと言える。

誤解しないでほしいのは、ITを使ったコミュニケーションは「無色透明」だからダメだと言いたいわけではない。それがふさわしい場面とそうでない場面があり、その使い分けが必須なのだ。

現代の文明生活にあって、あえて誰もいないところに行き、キャンプに興じる人が一定数いる。その時は遊びだが、これが大規模災害などライフラインが寸断されたときに役立ったりする。

最近テレビやYouTubeを賑わす社会学者の成田悠輔氏は、現実世界の人間関係は、時々帰ればかったるいけど懐かしい気持ちがする実家のような位置付けになっていくだろう、と近未来を予言した。この流れに抗うことは無理かもしれないが、現代のアウトドアのようにしてでも選択肢を確保しておくことは重要だ。なにせ、デジタルは必ず電気を必要とする。

コミュニケーション以外ではどうか。たとえば物事を調べるとき。ふと疑問を感じたら、いきなりネットで調べるのではなく、まず自分の頭の中で仮説を組んでみたり、直感を認識、整理する。そうすることでその後検索して調べた結果とのギャップがはっきりし、自分の考え方の傾向が見える。これを繰り返すと、割と正確に察しがつけられるようになってくる。その情報をリツイートするだけの装置になるのは堕落だ。自分のアップデートのために情報を使うのだ。また、Wikipediaやブログの写真、テレビのニュースを見て、得心したつもりになっていないだろうか。せっかく理解するなら、周りとは一味違う深みを持ちたい。あとからで良い。興味関心があることについてはできるだけ現場に赴こう。道中に思いがけない発見があったりする。

これらから、あるひとつの原理が見えてくる。デジタルは合理的で無駄がなく、アナログには余計なことがついてくる傾向があるのだ。言い換えれば、デジタルは偶然性が小さく、アナログは大きい。心を閉ざした人とデジタルとの相性が妙に良いのは、単に自室にこもれるというだけでなく、「見たいものしか見ない」ことを容易にしてしまうからだと言えよう。

そもそも、人はアナログから逃れられない。いくらネットの中の住人になろうと、その端末は物理的存在だし、それを見ている身体ももちろん同じだ。逃れられない以上、なるべくその存在を認め、愛し、より良くしていくしかない。沸々と湧いてくる思考、理由がわからない感情こそが起点だ。それを補完するためにのみ、ITが使われればよい。そして外界に身を委ね、不本意なものも含めて結果を受け止めよう。だって今ここにいること自体が偶然なのだ。そうしながら、誰とも微妙に違う自分だけの色をまとい、たくさんの偶然を他者に提供する存在であり続けたい。ITはそんな自分を表現する拡声器、そうしてその個性を増強していくサプリメントに過ぎない。そうあるべきだと思うのだ。少なくとも非デジタルネイティブ世代の僕は、「新しい文武両道」を掲げ続けたい。

2022.10

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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