Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#30

パソコンの悪用防止策は、過去の発明物との比較で見いだせると思う

息子がどっぷりハマって聞いているAdoの曲「マザーランド」に、「楽園だろう そこは楽園だろう / 歌い踊る 液晶の檻の中 / ああいつまでいれるの?」という一節がある。彼女が歌う曲には、このようにパソコンを現実と対置したものがたくさん出てくる。曲まるごと二次元恋愛をテーマとした「16ビットガール」を歌ってみた動画も公開されていて、多数の視聴数を稼いでいる。いずれも、情報世界への閉じこもり、人間同士のコミュニケーションの放棄を指している。

なるほど確かに、パソコンとりわけスマホは「現代社会最大のドラッグ」と言われて久しい。情報流通のありようをすっかり変えてしまい、文明生活のさまざまな場面に入り込んでいる。その点で、モンスター的な取り扱いをされるのは仕方ないし、なればこそ、僕がこのようにパソコンそのものをテーマとした連載を続けてもネタが尽きないのだろう。

この連載の初回のタイトルは「人間とパソコンの素敵な関係ってのはあると思う」だった。さきほどの一節のような閉じこもりが、素敵な関係でないことは言うまでもなかろう。パソコンなどのITの「悪用」を防ぎ、これらと人間がうまく付き合っていくために、我々がどのような考え方を持つべきか。今回は、これまでに発明されたパソコン以外のエポックメイキングなツールが、当初どのように扱われ、どのように変化し、現在いかに共存しているかを考察してみたい。

自動車や飛行機は、いつも真っ先に思い浮かぶ。これによって人間が移動できる距離も速度も画期的に変化した。そもそもパソコンも、移動手段の発達なくしては生まれなかっただろう。しかし、自動車や飛行機は、これらがなかった時代には存在しなかった激烈な被害を生じさせる。事故である。当事者にとってはたまったものではない悲しみをもたらす。このリスクを、人間社会はどのように低減しているか。

ひとつには、免許性を採用し、未成年者の操作を一切禁じている。これにより、著しく想定外の事態がなるだけ起きないようにしているのと、事故発生時に一定の責任を負える仕組みにしている。こと飛行機は多くの教習が課され、免許もずっと厳しい。このようにしてリスクの大きさとのバランスを取っていると言えよう。その上でも生じ続けるリスクについては、生産性とのトレードオフとして、なんとか許容している。

突然ベーシックなものを取り扱うが、包丁もまた、古くは打製石器から進化した発明物であり、人間の営みを大きく変えた。ほぼあらゆる家庭に存在し、頻繁に使われているが、何でも切れてしまうため、使い方を誤ると悲惨なことになる。ただ、ほんとうに悲惨なことになるが故に、物心がついてからの人間は、これを悪用するためにそれ相応の決意をし、それ相応の力を使わなければならない。車のアクセルを踏むよりずっと難しい。

さて、パソコンはと考えてみると、まず包丁や自動車よりは悪用時の被害が軽度で緩慢であることがほとんどだろう。突然命が取られるといったことはなかなか考えにくく、被害が物理的には見えにくい。パソコンの悪用を防ぐために、リスクをハードにして包丁のように鋭利な道具にしますかと言われれば、これは本末転倒というほかないけれども、たとえばパソコンによる健康面のダメージをよりわかりやすく数値化するような試みは考えられなくもない。「瞬間視力センサー」なるものが搭載され、「焦点をあわせる力が低下しています。休憩してください」といったアラートが表示されるのはどうか。現在でも、Apple Watchを装着していれば、「そろそろスタンド時間です」と、座りっぱなしで作業していることを検知してたしなめてくれる機能はある。これが車にあってもいいのにとも思った。

飛行機との比較で言えば、パソコンはより手近で操作の敷居が低い。かと言って、パソコンを免許制にしたり、未成年の操作を禁じてしまうと、パーソナルな部分のメリットが吹っ飛んでしまう。むしろ、成人になって初めて習得する上達速度的なリスクのほうが大きいかもしれない。ただ、部分的に制限する考え方は、「ファミリーセーフティー」「ペアレンタルコントロール」機能の呼称で、わりと一般的に採用されている。これらによって、未成年者のいろいろな意味での「やりすぎ」は一定程度予防できるが、自らロックを解除してしまう大人には無力だ。

あまり好きな言い方ではないが、ここであえてパソコンを「ドラッグ」と捉えてみれば、これによる被害の責任は「製造物責任」にも属すると言っても、そんなに突飛ではないだろう。そのような意味では、予めリミッターを搭載した端末を作る義務をメーカーに課すように法的制度的な手当は十分現実的であると思う。ただし、これは権力による統制に悪用されるリスクを持っているため、熟議が必要ではある。

さて字数が来てしまったので、個人の次元でどう考えるべきかは次号で考察してみたいと思う。

2022.08

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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