前回は入力デバイスについて書いたので、今回は出力デバイスだ。パソコンにおける出力とは、視覚、聴覚、触覚の3つで構成されていると言って間違いない。視覚といえば、画面に映す、あるいは印刷するということになる。聴覚はスピーカーからのサウンド再生、触覚はスマホの振動が主たるところだ。
勃興期におけるPCには、モニター(ディスプレイ)がなく、キーボードとプリンターの構成だった。数式を入力すると、答えがプリントアウトされる、といった具合だ。これを知る人と知らない人、それこそジェネレーションギャップである。ただし昭和57年生まれの僕からしても、モニターのない構成は昔話として知るものであった。
そこからモニターが出現し、出力は入力に対してより即時的になった。印刷はオプションとなり、紙に残しておきたい、きれいに見たいときに行うものとなっていった。モニターはまだまだ当時品質が良くなく、紙に印刷された状態をそっくりそのままモニターに映し出すほどの性能を全く持ち合わせていなかったという背景がある。
初期のモニターは9インチ程度で、現在のiPadのミドルクラスのものと同じである。ただiPadよりずっと奥行きがあり、とても重いブラウン管(CRT)の機器であった。そして、表示はモノクロ。当時からテレビはすでにカラーの時代になっていた。パソコンのモニターがカラーでなかったのは、前回のキーボードの話でも書いたが、当初は専らコマンドライン環境だったことが大きい。
グラフィックな操作環境の開発とともに、モニターもカラー化し、そして徐々に大型化が図られた。僕の記憶では、1995年に初めて買ってもらったPCのモニターが15インチ。ハイエンドモデルが17インチだったが、10万円ほど高価だったはずだ。今となってみれば、当時がCRTモニターの末期だった。そこから急速に薄く軽量な液晶モニターへと置き換わっていくことになった。それにより大型化には拍車がかかり、いまでは50インチ程度のモニターなら現実的に価格で購入できるようになった。
ところで、モニターの性能において、解像度は重要な要素だ。モニターは発光する点の集合で構成されている。点(ドット)が縦横にそれぞれ何個そのモニターに収まっているかが、平たく言えば解像度だ。前述の大型化にともなって、もし解像度が上がっていかなければ、当然1個1個の点は大きくなる。これではあらゆる文字や図形は滑らかさを失い、カクカクになっていく。解像度もぐんぐん上がっていき、どのようなサイズのモニターでも、点の大きさがあまり大きくなりすぎないように性能アップが図られた。
この流れは、2010年にAppleが発表した「iPhone 4」によって大きな転換点を迎えた。この端末ではこれまでと比べ縦横それぞれ2倍、つまり4倍程度の数の点を収めた「レティナディスプレイ」を搭載した。「レティナ」とは網膜。人間の網膜では識別できない点の小ささを謳った。つまり画面サイズあたりのドット数が増加し、「高画素密度」になったのだ。とくにスマホのような近接した距離で見る画面において、なめらかな文字表示は、目の疲労を相当に改善させ、よくも悪くも世界の人々のスマホ時間をどんどん長引かせた。
このあたりから、タッチパネルを搭載するPCでも、同様に目と画面の距離が近接することから、高密度化が図られてきている。「4K」「5K」ディスプレイがこれにあたる。これに慣れてしまうと、従来の密度のモニターでは、文字が読めたものではないという気になってくる。
僕はそもそもフォントオタクからPCへの興味が始まっているので、紙に印刷しなければフォントを忠実に再現できないPC環境には、子供の頃から漠然とした不満を持っていた。MacOSでは、密度の低いモニターであってもなるべく見栄えの良い文字表示を実現する努力がされていたが、Windowsではついに現在に至るまで低密度モニターでの文字表示は改善されていないに等しい。例えば少なくとも、低密度モニターのWindowsで電子書籍を読む気には全くならない。2010年頃にMacに全面的に乗り換えた理由の第一がこれだった。だが、モニターの高密度化によって、この問題もある程度解消してきたと言える。
このように見ると、モニターの理想とは、文字や図形がなめらかで、目の疲れにくく、必要に応じて大きさを選べて、さりとて場所取りすぎない、ということだ。それはすなわち、「モニターの性能アップのゴールポストは紙である」と言える。面白いことに、最初期の出力先であった紙を、モニターは未だに目指し続けている。その意味では、Kindle Paperwhite に代表される電子書籍専用デバイスは、紙の長所を極限まで再現するひとつの決定版である。しかし一方で、各種作業に適した輝度は犠牲にしている。逆にVRメガネなどのウェアラブルデバイスは、長時間使用していると頭が痛くなり、実用に耐えられない。上述の要素をそつなく満たしていく取り組みが続いていくことになる。
2021.10