Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#24

真の生産性とは、その人の望む時間の使い方ができるかどうかだと思う

昨今のコロナ禍で、IT業界は概ね活況を呈している。うちも例外ではない。国や地方自治体からの補助金が僕の顧客先に降りてきて、そのお金が僕の仕事につながる。そうして、特に昨年の秋頃からは、ありがたいことに、暇だなと思うことがまったくない日々をこなしている。

3歳の子を持つ身で、一日の時間を殆ど仕事に使うことができた以前の暮らしは一変し、案件が急増する前から時間のやりくりには苦心していた。その上に、コロナ初期の子供の自主休園がきたから、一体いつ仕事をせよというのかと、途方に暮れたものだ。

しかし、なるべく面白い仕事は断りたくない。納期を破るわけにもいかない。だからと言って、育児や妻との時間も犠牲にしたくない。そんな中で、これはいつまでに納める、今日は何をしなければならない、ということを確実に把握するために、自分用の日報を書く習慣が生まれた。ちなみに行き着いた方式は手書きだ。始めた頃は、書く時間自体が勿体ないようにも感じていたが、徐々にすぐ元は取れるものだと、日々の結果を見て確信した。また、通話の類を、運転中ハンズフリーでやるようになった。移動中、耳と口は空いている。前回に書いたYoutubeの耳だけ視聴とともに、車の中の時間がとても密度の濃いものに変わった。

ただ、子供が寝た後の時間を仕事に振り向け、寝るのは毎日午前3時頃。起きるのは子供と一緒だ。このように睡眠時間を削るようになってしまったのは、安直な判断だった。徐々に日々のパフォーマンスが悪化し、日中常にぼーっとしている感覚がつきまとった。これはまずいとなり、朝方への転換を決めた。夜は子供と寝て、朝6時頃までには置き、子供が起きて通園の準備をするまで、とにかく集中して作業をこなす。やはり夜より朝のほうが頭が働くのはほんとうだった。夜のだらだらの3時間と、朝の1時間で、出来高はそんなに変わらなかったのだ。

それと、日中少しでも時間を作るべく、細かいことにも注意を向けるようになった。メールやLINE等の返信が超シンプルになった。礼儀等が必要ないものでは「はい」とか絵文字で済ます。この人は忙しい人だと思ってもらうと、相手も手短にしてくれたりする。

ある程度「時間をお金で買う」こともより躊躇わなくなった。たとえば、料金に関わらず目的地に一番近い駐車場を使う、近距離でも比較して早ければ高速道路を通る、といったことだ。また、日々繰り返し行うパソコン作業は、極力プログラムにして自動化する。そのために有料のアプリが必要であれば、悩まず買う。道具も同様だ。無駄になってしまうものもあるが、一定期間試さないとわからない。目先の出費を気にし過ぎて、時間が奪われ続けるのでは元も子もない。とにかく何かにつけて、少々お金がかかっても、時間がかからない方を選択するということだ。

パソコンを継続的にレクチャーする案件では、宿題をやってきてくれない人に、時間や労力を極力費やさないようにしようと決めた。一見冷淡に見えるかもしれないが、何も進んでいないのに漫然と時間を取って、同じ段階をぐるぐる回っていても、僕はお金をたくさんもらえるかもしれないが、その人は何も向上していない。あくまでレクチャーの主目的は、その人のスキルアップであって、僕の金銭的利益ではないのだ。その時間、もっと喫緊の仕事に使いたい。基本、宿題ができたら連絡して下さい、次の日程を決めましょうと言うようになった。考えてみれば、これもある意味、たちまち得られるかもしれない金銭でもってしてその時間を買っている側面がある。

このようにして、仕事、家庭、睡眠と、欲張りに死守すべく、時間をすべての優先事項にする。しかし逆に言えば、それで作った時間を、自分が楽しいと思うことには惜しみなく使うのだ。子どもが通園しない土曜日は、早朝はこっそり仕事をするが、子供が起きてからはだらだらご飯を食べて、昼は子供が練習で漕ぐ自転車を押し3時間かけて近所をまわるなど、のんびり過ごす。たまにスマホは見るが、ほぼ仕事の電話は出ないし、返信もしない。平日の定休日である水曜は、ジムや温泉、ちょっと贅沢なランチ、ゲーム、またこのコラムの執筆のように普段なかなか時間が取れないことをして、無口に(笑)過ごす。

よく仕事の出来高や社会への貢献度を指して能率、効率、生産性などの言葉が多用されるが、僕が考える生産性とは、それがどんなに周りから見てくだらないことであっても、自分がやりたいことをたくさんできるかどうか、ということだ。昨年、テレワークでちゃんとパソコンの前に座っているかを見張るシステムが開発されたニュースを見てひっくりかえったものだが、ITがそのような偏狭な使われ方をすることをとても残念に思う。その人がその人らしくそこに存在するために、どんな方法があるだろう。抽象的に言えば、僕は自分の仕事のなかでこれだけを考えている。

2021.04

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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