Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#23

音声・動画とテキストは、ハッピーに共存できていないと思う

今年に入ってから、新星SNS「Clubhouse(クラブハウス)」がにわかに盛り上がっている。音声の配信を基軸にしているところが新しく、トークなどを配信する、輪に入る、聞く、という3種類の利用方法があり、特に「聞く」が斬新だ。いわば公開雑談ツールと言ってもいいだろう。話している主がお気に入りの有名人となれば、当然その部屋にはリスナーが殺到する。あらかじめゲストも決めず、いきなり始まるラジオ番組である。放送の電波には乗せられないネタもここなら聞けたりする。新しいエンタメを掘り起こしたと言える。自分の情報を発信したいという様々な層の人々が参入してきている。

一方で、このような面白さゆえ、極端なケースでは寝食を忘れてClubhouseにかじりつくなど、「時間を溶かす」側面を指摘する声が上がっている。また雑誌の対談で、(まだ喧嘩する前の)堀江貴文氏(ホリエモン)とひろゆき氏(2ちゃんねる創始者)は、Clubhouseについて、「情報収集の時間効率が悪い」「文章が読めない系の人にはクラブハウスはピッタリかも」などと批判というか貶している。

彼らのサービス精神というか言葉を鋭利にしてしまうところは差し引くべきだが、音声や動画は、「情報密度が低い」という特徴を持つこと自体は、否定のしようがないところだ。同じ分量の情報を頭にインプットするために、音声や動画、かたやテキスト記事、費やす時間はどれほど違うか比較すれば、テキストのほうが圧倒的に短くて済むという意味である。音声や動画でも、あるていど小見出しごとに頭出しができれば効率もぐんと上がるが、配信側が丁寧にインデックス情報を準備してくれていない限り、ここがネックになってしまうのだ。

「情報密度」は、受け取る側を拘束する時間や労力の大小に関わってくると言える。その他、音声や動画とテキスト、それぞれのコンテンツを配信したり、受け取ったりする場面で、どのような違いがあるだろうか。

制作のコストと完成度を考えてみると、テキストの場合、ライブ配信というものは考えにくく、事前にそれなりの時間をかけて入力する手間があるが、完成度は高くなりやすい。音声や動画だと、録音録画であれば、完成度は担保できるものの、相当の時間を要する。ライブであればその場の流れでやっていけるものの、取り返しがつかないため、完成度はどうしても低下する。

論理的な情報を超えた部分のニュアンスが伝わる度合い考えると、動画の圧勝で、音声はそれに準ずるだろう。テキストでそれができる人は、文才と呼ばれる人達である。感情や気迫といったものは、音声情報の特権的なポテンシャルだ。また、色や柄、サイズ感など、画像を持ってしか伝えきれないものもたくさんある。

このような様々な良し悪しがあるにもかかわらず、僕が少々ネット界の動きを懸念しているのは、「これからは動画の時代」とばかり、コンテンツ制作のトレンドが音声や画像、動画ものに偏っている風潮が見られることだ。メディアがリッチになることと、訴求力が高くなること、またインプットの効率が良くなることは、まったく別のこととして考えなければならない。それがゴチャ混ぜになっているきらいがある。

5Gネットワークの普及など、配信できる素地が広がってきている。また、YouTuberの出現に象徴されるように、動画コンテンツの収益化がより一般的になり、「お金になることが一番理にかなっているに決まっている」という先入観を持たせる部分もあるだろう。あと、そもそもテレビ文化が続いてきた中で、人々の読解力が低下し、精緻さや正確さよりわかりやすさを過剰に求める時代性を生み出している部分も否めない。

僕の生活の中では、情報収集は基本的にテキスト情報である。音声や動画に触れるシチュエーションは、意識的に限定している。ひとつは、運転中。眼と手足が奪われているが、耳が空いている。もったいないので、そこの有効活用として、Youtubeなどを流しっぱなしにしている。比較的頭を使わない単純な作業のときも、傍らで流しておくこともある。これも運転中と同様のアプローチだ。ともかく、自分の活動の中心に音声や動画が出てくることがないということだ。時間活用がタイトな人の多くが、同様の傾向を持っているのではないだろうか。

コロナの問題が勃発した昨年度の僕の大学講義は、Youtubeでの録画配信にした。対面が無理である以上、お金をいただいている教材としての完成度はある程度担保しないといけない。また、知りたいことを受講生の側から調べてもらうのではなく、こちらからお品書きを提案していき、一緒に操作してもらうタイプの授業だ。それらを勘案し選択したが、制作の大変さは想定外だった。われながらよくやったと思う。

どう伝えたいかだけでなく、受け取る側がどのような場面でどのように利用しているのか、また配信のコストパフォーマンスもよく見極めて、メディアの種類を選択していくことが重要だ。

2021.04

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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