Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
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#22

大統領選の混乱は、海外ネタでは片付けられないと思う

新大統領が実際に就任してもなお火種がくすぶり続けるトランプ対バイデンのアメリカ大統領選は、異常な様相を呈している。

リアリストやリベラル、右や左、といったこれまでの概念では定義できない規格外のリーダーは、反エリートをむき出しにして、既存の権力に襲いかかった。トランプ氏は有権者が理性によって引っ込めてきた本音に「自国中心主義」を訴えかけ、地方の白人男性を中心に極めて強固な支持基盤を確立した。そしてネットを巧みに使い熱狂的なファンの心をつなぎとめた。大統領在任中の支持率が40%台をほぼ終始維持したことからも読み取れる。

彼が敵視した「既存勢力」は、民主党やエリート官僚、というにとどまらず、自分の都合に悪い情報を流すマスコミにも多分に向けられた。Twitterで本人が徹底的に「敵」を攻撃し、それを支持者が援軍となって加速度的にリツイートで拡散していく。もちろんキーワードは「フェイクニュース」だ。彼ら支持層の中では、「マスコミの言うことは嘘っぱちだから信じるな。」という空気が支配する。トランプは自分を批判するあらゆる相手に同じ手法を繰り返した。

トランプ支持層と不支持層の両方のツイートを見ると、同じことに関する「真実」が、常に2つ存在するかのようで、頭が混乱してくる。民主党の重鎮がトランプを「テロを誘発した首謀者」と喝破するニュースの横で、トランプ支持者はその重鎮が「トランプを不正に追いやろうとするならず者で、明日逮捕される算段になっている」などと主張する(もちろん実際は現時点においても逮捕されていない)。冷静になって見ると、もはや支持者はカルト信者の域に入っていると言うしかない。

僕は大統領選当初、トランプが勝つと思っていた。4年前と同じくマスコミの出口調査に応じない「隠れトランプ支持者」は根強いと思われるのと、手段を選ばない彼なら、僅差で負けても今持っている権力を総動員して事実そのものをひっくり返してしまうだろうと思ったからだ。

しかし結果はそうならなかった。ひとつに、アメリカのマスコミはCNNを中心に現職大統領に敵視されながらも屈せず、「フェイクニュース」の罵倒に対して粘り強く対峙した。選挙の結果がある程度決まってからは、もともと親トランプの向きが強かったFOXニュースなども根拠のない陰謀論に与せず、比較的冷静な報道に徹したのは意外だった。

新型コロナウイルスがアメリカで極めて深刻な被害をもたらし、トランプ離れに拍車をかけていたことも大きかった。トランプ支持者が「コロナを恐れるな」とマスクの装着を嫌う傾向があるように、適切に恐れ十分な予防策をとることを拒否した。国内で二大政党のいずれにも強固な支持をすることがない「日和見主義者」の支持を急速に失わしめた。

傍若無人な権力者が現れてパンドラの箱を開け、さまざまな分断を招いたけれど、報道や選挙といった権力監視ひいては民主主義の機能がなんとか作動し、ひとまず状況を打破することはできた、という図だ。

もしこれが日本でのできごとだったら、と考えると、ゾッとするばかりだ。

大手マスコミは記者クラブ制度の中ですっかり骨抜きにされ、政権に忖度する宣伝機関に成り下がっている。末端でその本懐を果たそうともがいても、上層部に潰されてしまう。今や政権を震撼させるようなスクープを突きつけているのはいつも「週刊文春」だけという体たらくだ。

また、それを受け取る一般庶民も、高齢層はマスコミに従順だ。若年層はニュースを見ないから距離を置いて考えられるように見えるけれど、実のところはネットを通じて大手マスコミのニュースが流通しており、同じことだ。基本的に細かいことには無関心なので、ニュースを疑ってかかるという面倒なことに時間を費やさない。

さらに恐ろしいことに、カルト的支持者は日本にも容易に生まれうることがわかった。今回の大統領選で特徴的だったのは、トランプや支持者らの発言を、積極的に日本語に翻訳して拡散する日本人支持者がいつの間にか多数出現したことだ。彼らは決まって国内では「保守」ともてはやされたり「ネトウヨ」と侮蔑される自称右派の人々だ。テレビに多数出演する有名人も多く含まれる。これは共和党が一貫して保守的であるからというより、トランプの反エリートや自国中心の考えと日本の自称右派との相性がぴったりハマるのだろう。

つまり、日本の現状ではまずマスコミが十分に役割を果たせない上に、権力者の横暴を積極的に擁護する人々が潜在的には少なくないのだ。

僕達は左様に常時錯綜する情報空間から「使える」ものを選び取り、考えや行動を決定していかなければならない。社会学者の宮台真司は、「社会がだめになるほど人間が輝く」と言う。良い方向に行く土壌がないならば、個々人の情報リテラシーを上げていくことに尽きてくるのだ。あの国の一連の顛末を自分ごととして教訓にしていこうではないか。

2021.02

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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