Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#19

文字情報は、速い、厳しい、強いものだと思う

5月末、人気恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演していた木村花さんが、ネットでの誹謗中傷を苦にして自死を遂げた。仕事のプロレスで使っていたコスチュームを誤って洗濯され、使えなくなってしまったことに激怒したことが、視聴者の反感を買ったという。ネットでの誹謗中傷は主にTwitterで繰り広げられたが、その内容は前述の出来事とはおよそ釣り合わない苛烈なものだった。

ここで、当事者で誰が原因か、リアリティーショーの根本的な問題ではないのか、という議論はまたの機会としたい。今回着目したのは、SNSを通じて文字情報で受け取ったことが、よりストレートに心を蝕んだのではないか、ということだ。

20代の頃、制作した名刺に誤植があり、クレームと、校正はちゃんと頼んだよ、という反論の応酬になったことがある。お互い面と向かって言うのを無意識に避けたのだろう、最初は電話だったが適当に終わり、その後数日に渡ってメールでのやり取りになった。同い年だったので、遠慮がないのもいけなかった。結果は、1回目の印刷代の半額+2回目の印刷代をもらうこととなったが、若気の至りで、お互い論破しようとあの手この手の言葉を繰り出し、純粋に誤植の責任範囲の明確化以上の傷を残した。以後、その人とは連絡をとっていない。

それ以来、メール(つまり文字)で絶対に喧嘩してはならない、どうしても伝えるなら努めて抑制的にテーマを絞って書くようにしよう、と心に誓ったのであった。

考えてみれば、ITの世界で音声や見た目が幅を利かせだしたのは本当にここ最近のことで、4Gネットワーク普及以来の動画コンテンツブームからのことに過ぎない。それまではほとんど文字情報のやりとりが主で、現在もその順位が覆るには到底至っていない。

それはつまり、IT活用力はすなわち読解力と言ってもそんなに見当外れではなく、以前はそれがより顕著だったということだ。社会の中で文字情報への耐性が強い人、たとえば長文を読むことをそれほど苦としない人とか、思っていることを簡潔に表現できる人が、黎明期のインターネットのプレイヤーとして支配的だった。そもそも軍事ののち学術用途で広がっていったのだから、当然ではある。「パソコン通信」全盛の牧歌的な時代、前述のような誹謗中傷の騒ぎが少なかったのは、匿名ではなかったとか、利用者が少なかったこと以上に、言葉を操る力、それを文字で表現するスキルが全体的に高かったことが大きいのではないか、とみる。

駆使するには、その性質をよくわかっておくことが必須だ。文字は、他の伝達手段と比較して、どんな特徴を持っているのだろうか。

ひとつには、伝達速度がトータルで考えると速いと言える。トータルでというのは、対面や動画で話していることをそのまま文字化する限りは、文字は不利だからだ。口述は文章の骨組みから見て必ずしも必要でない文節を多く含んでいる。同じ趣旨を適切に文字化すると、その分量はぐっと絞られる。議事録を読むとき、実際の会議と同じだけ時間がかかることはまずなかろう。Twitterの140文字制限、俳句や短歌といった定型化した文芸は、文字文章のポテンシャルを引き出す力を養ってくれる。

また、無駄を削ぎ落としている分、より厳密に伝わる。口で「死ね」と言われたとき、表情や語気、周辺の文脈や環境によって、そのエネルギーは薄まる要素を多く含んでいる。対して文字は、そういった要素を包含することが難しく、そのまま突き刺さってくる。裏を返せば、ねぎらいの言葉などはより深い感動を呼び起こす。いざというとき、人が思いを手紙に託すのは、こういった文字の性格を本能的に理解しているからだろう。ただし、ITにおける文字情報は、手書きではないから、少ない周辺要素の一つである書体情報がさらに削ぎ落とされている点にも注意が必要だ。まだまだ音声や画像を際限なくやり取りできるネットの帯域がない時代、そのような「逃げ場のなさ」を少しでも和らげようとして登場したのが、絵文字と言えよう。

もう一つ重要なのは、残りやすい、という堅牢性だ。アナログ的に言えば書面は強い、IT的に言えばデータのバイト数が小さいから保存しやすい。事務処理や約束事の記録としては文句なく大活躍するが、言い争いや攻撃の履歴になってしまうと恐ろしい呪文となり、完全に裏目に出る。

ITが広帯域になり、文字以外の要素も一定程度使えるようになってくるにつれ、必ずしも文字への耐性が強くない人も参入した。小中学生のような未成熟なプレイヤーも、大人と同じ土俵でのコミュニケーションをかんたんに行える。大半が年齢などを公言しないままなので、発信も受け取りも危なっかしいものになりやすい。今回の木村さんへの誹謗中傷の中にも、子どもが一定数いることは間違いない。文字も包丁も使い方次第だ。大人が性質をよく認識し、時代に合った教育を考えねばならない。

2020.06

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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