Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#16

シンクライアントは、家庭利用のPCでもやるべきだと思う

これを執筆している今、政治の世界では首相主催の「桜を見る会」をめぐり、有権者の買収や反社会的勢力との関係について真相を糺された政府与党が守勢に回っている。安倍首相は本会議で、「内閣府は『シンクライアントシステム』を採用しているため、破棄した同会の名簿データは各端末に存在せず、復元も困難である」などと答弁した。

「シンクライアント」の英語表記は「Thin Client」。直訳すれば「狭い端末」だが、要するに人間が日常作業で触るPCの役割を最小限にする考え方である。(その逆は「リッチクライアント」と呼ばれる。)

PCの役割とはどんなことか。キーボードやマウス等を通じて人間からの入力を受け取って、画面に物を映したりスピーカーから音を鳴らしたりする。大事なことを通知して人間の返事を促す。ファイルを読み込んだり保存したりする。プリンタなど外部の機器と連携する。

これらのうち、現状のシンクライアントシステムで絞り込んで各端末から除外しているもっとも主要な役割は、データの保存の部分だ。作成したデータを各端末ではなく、別に構築した同じ建物内のサーバーや、インターネット上のクラウドストレージに保存するのだ。本格的なシンクライアントだと、様々な役割を取り持つWindowsなどのOSやアプリケーション自体もサーバーに委ねる。これらの主なメリットは、各端末が壊れたりしたときも、重要なデータを失わない安全性と、代替端末を整備時、環境をゼロから構築し直す必要がないことだ。

前述の首相答弁、というより首相が棒読みさせられた理屈というのは、こういうことだ。名簿をどこかの端末で誰かが作成したことは当然だが、保存場所はその端末内ではなくサーバーだ。だから作成した端末にデータは残っていない。サーバーのデータも破棄したから復元できない、と。

データは、ある一つの場所に置いておくか、いろいろな場所にコピーして置いておくか、いずれがより消滅のリスクが小さいだろうか。もちろん後者だ。しかしシンクライアントシステムは各端末からファイル置き場の役割を取り上げてしまっているので、サーバーだけにファイルを置くことになり、方向性としてはデータ消滅リスクを高める。だから、サーバーのバックアップを何重にも取り、欠点をカバーする。もしあなたがシステムを構築する人間であっても、そうすることだろう。

首相答弁のおかしさは、最後の「サーバーのデータも破棄したから復元できない」にある。シンクライアントだからこそ、堅牢なバックアップが存在していて、各担当者の裁量になりがちなリッチクライアントより、復元できる可能性はかえって高まるのだ。

ところが、突如発された専門用語に、ITに弱いこの国の政界も報道もにわかに翻弄された。直後の官僚からのヒアリング会合で答弁のおかしさを指摘する野党議員は1人だけ。翌日の朝刊に何の指摘もなく発言記事を掲載した新聞社もあった。読者の多くも、なんだそれ、となったのではないか。これを読んだ今もなお、大きな組織のシステムの話で、自分とは縁遠いことがらだと思っている方も少なくなかろう。

シンクライアントシステムは、実はスマホを中心に個人利用の現場にも広く浸透している。スマホはPCと比べてファイルストレージの容量が小さく、その中にすべてのファイルを置いておくのに適さないからだ。iPhoneならiCloud、AndroidならGoogleドライブに写真などのデータを保存する方式が標準で、スマホを壊してしまっても、機種変更ののち前述の場所にあるバックアップから環境をまるごと復元できてしまう。これこそシンクライアントの典型なのだ。

一方、PC環境は、考えて自分で構築しない限り、リッチクライアント的な運用になってしまう向きが強い。演算能力もストレージの大きさも十分なものが多く、何でもできてしまう分、外部に役割を委託する必要性が一見ないからだ。だがこれも端末が故障したとき、バックアップを取っておらずデータをすべて失ってしまったりして、リッチクライアントの脆弱性に向き合わざるを得なくなる。

僕は、顧客にはPC本体でなく外部にファイルを置いておくシンクライアント的な考え方をおすすめする。外部とはすなわち、ホームサーバーなどの外部HDD、またはDropbox、Google Driveなどのクラウドストレージである。ホームサーバーは2万円台、クラウドストレージは月額数百円からのラインナップになる。

こうすることで、前述のデータ安全性の向上はもちろん、家族間のデータのやり取り、出先からのアクセスを容易にしたり、直接操作するPCのストレージ容量が小さくて問題なくなることでより安価に購入できたりと、多様なメリットを享受できるのだ。

このように、パソコン環境を目の前の単体の端末としてだけでなく、周辺の機器やインターネットと一体で捉えて考えることが重要だ。政府もそうできていれば、何百億もかけて構築したシステムをコケにするような謎答弁が出てくることもないのである。

2019.12

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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