Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#15

学校は、もはや教育の場である必要がないと思う

数年に一度、香川県内の中学校を訪れる。中学生を相手に、自分の仕事や人生観について語る「仕事語り部」という活動に参加しているからだ。今調べたら、初めての訪問が10年前だった。

無邪気に声をあげ挙手していた小学校から打って変わり、多感な時期に入った彼らは自分の意見を表明することに慎重になり、常にまわりの空気を読んでいる。これはずっと変わらない光景だ。

こちらから粘り強く聞けば答えてくれるが、その回答の雰囲気は俄に変わってきた。ひとことで言えば、「大人になりたくない、未来が楽しみでない」と考える子が増えた。周りの空気を読んで「うれしげな」発言を控えている分を差し引いても、そのような雰囲気が全体を覆っているようにしか見えない。

とは言え、僕が話しているときの肌感覚では、おとなしい中にも一人ふたり、自己肯定感強めの個性的な子がいて、場を盛り上げてくれたりしたものだが、そういった子も年々減って均質化しているようだ。

一体全体、自分を含めて大人達は、これまで子供に対して何をしてきたのだろうかと思わざるを得ない。こと学校に注目すると、社会の変化にマッチせず有害な影響を及ぼしているのではないかという事例が目立つ。早めに断っておくが、現場で必死に頑張っている先生達を責める気はない。先生も含めてみんなで固守している現行の学校の「システム」に問題を感じるのだ。

学校は特に中学から、授業、テスト、成績評定が基本のリズムとなり、すべてのスケジュールや部屋のレイアウトが決まっている。要するに「勉強するところ」だ。これは、IT以前の世の中では、先生や本こそが情報であったので、それなりに強みとして効果的に作用してきた。そうして貴重な学びの体験を享受することそのものが子ども達の自己肯定感を醸成してきただろう。

ところが現代では、情報はインターネットに膨大に転がっており、さりとて検索サービスによって目的のものに容易にたどり着ける。Wikipediaには学問の基礎となる言葉の定義や人、物の意味について教科書よりまとまった記事があふれ、YouTubeでは、通っている学校の先生よりもずっと面白い歴史の講義を、しゃべくりのプロである芸人がやっていたりする。教科書と比べ情報の信頼性がどうかと訝る人もあるが、鎌倉幕府が始まった年号もすでに昔とは異なっているように、教科書も絶対のものではないし、そもそも正謬まざりあった中からその都度どれを選び取るかが極めて重要な時代で、唯一の情報ソースを受け身で信奉して済むものではなくなったのだ。

また、前回の本コラムで僕は「人間の能力は道具の機能性と不可分だ」と言った。人間が道具や周りの人とのコミュニケーションを禁止されている状態で測定する「能力」とやらに、さほどの意味があるだろうか。たとえば、電卓があるのに、皆で6桁の数を暗算する能力を競うことに、ゲーム以上の意義があろうかということだ。

そう考えると、学校のテストは、現代においては不毛な営みに他ならないではないか。それどころか、人の潜在的な心を孤独にさせ、助け合いを拒み、そもそも意味のない点数によってせっかく持っていた自然発生的な自信を刈り取ってはいまいか。男性として生まれながら女性装を始めた東大教授の安冨歩氏は「学校は子供を虐待している」とまで喝破するが、僕はさほど言い過ぎでもないと思う。

そして、友達作り、人格形成、はたまたいじめといったものは、前述の本体活動の隙間の事柄として位置づけられる。しかし、本体活動が学校外でいくらでもできるようになってきた今、この隙間に挟まったもの達が学校機能の中核に躍り出てくる他に、これからの学校の存在意義はないと感じる。

昨今の痛ましいDVやいじめのニュースで、児童相談所などサポート機関が人員不足でまったく措置が追いつかない現状が盛んに報道される。もう数学の基礎知識はどこかの動画を流しとけばよいから、先生達は自分の授業を考える代わりに、子ども達が抱える様々な心身の問題をサポートする方に回ろうよ。

そして、最低限の基礎知識を提供したあとは、答えではなく問いを作るような誘導、知りたいことをどうやってネットで検索するか、一人では抱えきれない問いをどのように友達に聞いて、意見交換し、協力して解決するか、という、道具や他人とのコミュニケーションを主軸にした学びに転換しよう。評定もほとんどチーム単位で良い。授業と心身サポートがそれなりに両立できるようなリラックスした場の提供を実現できれば、子ども達は行くなと言っても学校に行くだろうし、自己肯定感、未来への希望も自ずと湧いてくるはずだ。

「自分は学校に行かない」と宣言した子どもユーチューバーも出現した。過去の慣習に囚われずに学校のあり方を問い直す機会になってほしいと強く願う。1歳の子供の父親として、また教育の片隅に居る人間として、現状が看過できないのだ。

2019.10

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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