Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#10

プログラミング」が我々を迎えに来る時代になったと思う

多くの人にとって「プログラミング」という言葉から連想されるのは、アプリケーションを作るために、専門的なスキルを持ったプログラマーがキーボードをカタカタ叩いて書き連ねる、全くビジュアル的でないコードの塊ではないだろうか。だがここ数年で、その概念は急速に変わり始めた。

そもそも「プログラミング」によって形作られる「アプリケーション」とはなんだろうか。四角いウィンドウのことだろうか。ホーム画面に並んだ角丸のアイコンのことだろうか。たしかにそれらはアプリケーションの一要素ではあるが、本質ではない。それはすなわち、ある入力によって、それが加工された出力をもたらすものだ。もう少し噛み砕けば、何かに役立つ処理をパソコンに実行させるための命令の塊とも言えるだろう。

2020年から、日本では小学校から高校まで、プログラミング教育が必修化される。その新学習指導要領には、プログラミング教育は「コンピュータに意図した処理を行わせるために必要な論理的思考力を身につけるための学習活動」と定義されている。そう、つまりプログラミングはすべてコードで命令する必要はないし、その知識が本質なのでもない。パソコンくんに何かをやってもらうための感覚や思考が肝なのである。事実、小学校のプログラミング教育で使用が見込まれていて、徐々に増え始めた子供向けプログラミング教室で広く採用されているのは、「Scratch」という、マウス操作で命令を組んでいく言語環境である。

「そんなのは教育用だから平易な仕組みであるだけだ」と思う方もおられるかも知れないが、それは違う。オフィスソフトやネットサービスをもっぱら利用するような非プログラマが、日々のルーティンワークをパソコンに自動処理させる「IFTTT」「Integromat」といった新鋭のWebサービスは、全くコードを必要とせずに事実上のアプリケーションを作成することができる。しかも自分専用のだ。

たとえば僕は、上記のサービスを使って7つほどのアプリケーションを作り、これまでコードなしでは考えられなかったような生産性の向上を体感している。いくつか紹介したい。

【出ますボタン】仕事先から帰るとき、iPhoneのウィジェット画面に置いた「出ます」ボタンを押すと、僕と妻のLINEトークに「とみが仕事場を出ました」という文章に続き、現在地の住所、自宅までの距離と概算所要時間が通知される。妻はそれを見て、晩御飯の準備、子供に先に食べさせるかなどの段取りを行えるわけだが、この通知を毎回手動でできるほど、僕は真面目でない。ボタン一つでできることに大きなメリットがあるのだ。

【Amazon購入履歴データ化】Amazonで頻繁に買い物をするが、その記録をいちいち経費一覧に書いていくのは面倒だ。データ化アプリケーションは、毎日深夜4時に、直前24時間のAmazon注文メールを取ってきて、商品名と価格を抽出し、経費一覧表に行を追加してくれる。付け忘れや書き間違いの恐れはゼロになり、妻に怒られることはなくなった。iPhoneアプリやメルマガの月額決済にも同様の処理をさせている。

WordやExcelにも実は自動処理の仕組みは搭載されていて、長い歴史があるが、いかんせんコードなしではほとんどまともなものを作れない。このあたりの大手が仕組みをもっと洗練させていれば、世界中の事務処理がいかほど短縮され、家族や友人との時間に当てられたかなどと考えてしまうほどだ。とはいえ、前述のようなサービスの登場に触発されて、進化の速度を速めることにはなっていくだろう。

このように、一般の非プログラマがプログラミングのスキルを上げていくのではなく、プログラミングそのものの難易度がどんどん下がり、我々へその門戸を広げてくれていることがよくわかる。ただし、コードは必要ないにしても、新学習指導要領にもあるような「感覚」「思考」はあったほうが格段に作成の効率が上がる。その理由は、パソコンが人間よりも遥かに融通が効かないことに尽きる。

たとえば、Amazon購入履歴データ化アプリで、「商品名と価格を抽出」と簡単に書いたが、確かに人間にさせれば一瞬だ。しかしパソコン相手だと、商品名がメール本文のどの位置にあるか、その規則性を僕が発見し、「『注文内容』の文字を発見したら、その5つ下の行を、最初のスペースを除いて行末まで抽出しなさい。その3行下に区切り線がない場合は…」といった具合で命令に盛り込んであげなければならない。日本語の形でいいから迅速明確にこれが思い浮かべられなければ、マウスであれ音声入力であれ命令ができないのだ。

ITの分野においては、一定の基礎的な能力さえ持っていれば、細かい手法面の進化に戦々恐々とする必要はなく、向こうから迎えに来るということの繰り返しなのだが、これはそもそもパソコンが人間の道具として開発されたのだから至極当然で、パソコンのせいでこちらの精神衛生が害されることが本末転倒という他ないのである。

2018.12

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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