Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#5

フォントは、すなわち視覚版の声色だと思う

僕は「パソコンの中での得意分野は何か」と聞かれたら、「フォントマニアです」と言う。表示されたフォントの銘柄を当てるインターネット上のゲーム「フォント検定」でぶっちぎり1位のスコアを獲得しているから、それほど間違った認識ではないはずだ。その割にこの連載でフォントにあまり触れてこなかったのは、以降のネタが枯渇してしまうような気がしたからだが、それを待たずしてネタが切れ始め、あえなく伝家の宝刀登場となってしまった。

フォントと聞いてみなさんの頭にまず浮かぶのは、ワープロソフトの文字設定ではないか。大きなカテゴリとして明朝体とゴシック体があることはよくご存知のことだろう。フォントの話をするとき「明朝とゴシックはどう違いますか?」と問うと、まずほとんどの人は「ゴシックのほうが太い」と答える。これはかなり間違っているし、非常にもったいないと感じる。

このような答えになってしまう「責任」は、トップシェアのワープロソフト「Word」で、<MS明朝><MSゴシック>が標準のフォントになっていたことにある。事実、<MS明朝>はとても細く、<MSゴシック>はそれに比べれば太い。だが視野を広げれば、この世界にはとてもたくさんのフォントが作られて流通している。サイト「和文フォント大図鑑」にも2,900書体以上と書いてあるから、日本語のフォントだけでも1万書体は優に超えるはずだ。つまり先ほどの答えは、数多存在する中のたった2書体の特徴を比較して述べているに過ぎない。

明朝であれゴシックであれ様々な太さ(ウェイト)のものがあることは、看板などを念頭に置けばすぐに分かることだ。例えばこの文章には<メイリオ>というゴシック体が使われているが、これより太い明朝体などいくらでもある。2つを分かつのは太さそのものではなく、太さが「均一かどうか」なのだ。明朝は横棒が細く縦棒が太いことに加え、棒の両端には「うろこ」などと呼ばれる膨らみがある。一方ゴシックはそれらがまったく(またはほとんど)なく、均一な太さで構成される。

さてここまでなら単にフォントのお勉強だが、哲学というからには、なぜ人はフォントを開発するのか、表現物にあらわれるフォントの違いがどのような意味を持つのかについて考えておきたい。

書体が違うと文章の可読性が変わる。家電の説明書ではゴシック体が多く使われる。極力シンプルな字形にして小さい文字をたくさん詰め込み、それでも読めるようにしている。逆に新聞が明朝体で構成されるのは、紙面全体が黒ぐろとして読む気が失せることを防ぐのとインク代の節約が理由と言われている。また、ニュースのテロップで子どものセリフには角丸のフォントが使われたりする。これは「かわいい」など醸し出すテイストの変化を利用しているといえる。

ある日僕は、これらの特徴が人の声ときわめて似ていることに気づいた。小さな音量でも聞きやすい声の人、大きな声でも邪魔に感じない声の人、かわいい声の人、と言う具合である。それ以来、僕はあらゆるフォントが誰かの声に聞こえるようになってしまった。

明朝とゴシックで考えると、基本的に明朝は女性の声、ゴシックは男性の声と結びつきやすい。くびれの有無という両性の体型の違いに一致していたりもする。字の太さは声の高低に対応する。細いゴシックは声の高い少年、太い明朝は落ち着きのあるマダムと言う感じである。

内容が同じでも話者つまり声色が違えば伝わり方はぜんぜん違う。視覚をまったく利用できないラジオCMでは効果的にその内容を伝えようと、短い時間内に複数の話者を登場させて緩急をつくる。他方テレビでは、幾分フォントにその役割を分散されている。声とフォントが聴覚と視覚それぞれの分野でとても似た立ち位置であることがここからもわかる。フォントの開発は、声と同じようなポテンシャルを視覚にも持たせたいという人間の文化的な営みなのだ。

冒頭で僕は「ゴシックのほうが太い」という捉え方を「もったいない」と書いた。なぜか。そう捉える人は、きっと強調したい文言にゴシック(男)、そうでないところに明朝(女)を使うだろう。だがそれは声色理論に当てはめれば、フォント版の「男尊女卑」だ。男女の不平等が昨今の生産性に深刻な影響を与えているように、フォントに対する偏った認識はこの世界のデザインの発展をかなり妨げていると思う。だからもったいないのだ。この文言はどんな人の声で語るのがしっくり来るだろうと考えて、一度フォントを選んでみてはどうだろうか。

ただし、このような一歩踏み込んだフォントの活用も、環境なくしてはなかなか難しい。字数が来てしまったので、次回に続けたい。(ああこれで次のネタが確保できた)

余談だが、僕はこの連載記事のフォントを指定していない。あえて普段のこだわりを廃して、みなさんにどう伝わるのかを試してみたかったからだ。これもひとつのフォントの使い方だろう。

2018.02

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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