Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#3

ラスターとベクターの概念は、ものの捉え方そのものだと思う

デザイン系の仕事は、ラスターとベクターという相対する2つの形式への理解なくしてはほとんど立ち行かない。一般の方にこれを文章でわかりやすく説明することはとても難しいが、仮にも哲学などとぶって始めから難しいことを書きますよと宣言しているのだから、ここはいっちょ挑戦してみようと思う。

ひとつの黒塗り円の画像があるとしよう。もしこれがラスター形式ならば、内部データには「1段目は□□■■■■□□、2段目は□■■■■■■□・・・」というように左上からのマス目(ピクセル)の色が羅列したものが書かれている。一方ベクター形式ならば、「黒塗りの円!」というそのまんまのシンプルなものになる。それぞれどのような長短があり棲み分けがなされているのだろ うか。

データ量だけでみればリッチで高機能な感じがするラスターは、内容をピクセルと色で解釈しているため、どのパソコンでそれを表示してもほとんど同じに見える性質を持つ。なぜなら、PCやスマホの画面はそもそもピクセルの集合でできているからだ。パソコンや携帯電話の1ピクセルの大きさ(画面解像度)はだいたい共通して「いた」(96〜135ppi)ため、この性質はWebサイトなど画面に映すデザインプロダクトの制作に大きな安定感をもたらした。

ところが、その安定が過去のものとなった契機はスマホの出現であった。iPhone 4以降には「レティナディスプレイ」と銘打って超高解像度の画面(326ppi)が搭載され、一気に1ピクセルの大きさは3分の1近くになってしまった。しかし画面は高解像度でも、さきほどのラスターの円はくっきりせず、片手落ちになる。なぜならラスター画像は、自身が現在持っているピクセル数以上の情報は持っていないし、あとから作り出すこともできないからだ。同じ大きさで表示しようと無理やり3倍に拡大してもただぼやけるだけ。これをきれいに表示するためには、3倍の解像度の画像を作らなければならない。

対するベクターは、内容を論理で解釈する。「円!」と言っているだけである。心許ない気もするが、これがあんがい役に立つ。円は3センチだろうが3メートルだろうが円なのだ! だからベクターの円をiPhoneで表示しても大型看板に出力しても、高解像度の画面を生かし切ったくっきり度で見ることができる。ただし「円」と言っているだけなので、最終的にピクセルでできている画面にどう映るのかは各端末の演算(レンダリング)能力に依存する。

このようにベクターは特に図形などの分野で絶大な利便性を持つため、まともなデザイナーであればロゴ等は必ずベクターで持っておき、必要に応じてラスターに変換(ラスタライズ)して使う。他方、背景の物体から陰影まで複雑な情報を持つ写真画像だとベクターの出る幕はなく、もっぱらラスターが受け持たざるを得ない。この場合、最大限に解像度の高いものを捨てずに持っておくことが重要だ。

デザイン分野に少しでも興味がある方ならば、フォトショップやイラストレーターという名前を聞いたことがあると思う。どちらも同じアドビ社のソフトウェアで同じようなものが作れるのに2つに分かれているのは、前者がラスター、後者がベクターを主として扱う役割を持っているからだ。

さて、字数の関係でいきなり大雑把な解釈をすれば、これはものの捉え方の二項対立そのものである気がしてきた。ラスターは見た目、ベクターは本質と言い換えることができないだろうか。人は常に他者の行動、言動、状況をインプットし、評価したり学んだりアウトプットしたりする。このとき、入ってきた情報をいずれの形式で解釈し頭に置いておくか。ラスターで覚えるだけでは、表面だけの丸暗記であり、猿真似にしかつながらない。そして拡大したら劣化するように、モデルケースより少しでも状況が困難なときそれを応用できない。ここはぜひベクターを選択し、一を聞いて十を知る人でありたい。自ら咀嚼し、既存からオリジナルを見出す。なんともかっこいい響きではないか!

とはいえ何でもかんでもベクターで置いておくと、いちいち原理原則から考えてアウトプットせねばならず、左右どちらの足から踏み出すかまで考え込むような、頭のリソースバカ食いモードに突入してしまいそうだ。そこで、さして重要と思わないものや自分の苦手な分野においては、ラスターに固めて「馬鹿の一つ覚えですが何か?」のスタンスで行く使い分けが重要かもしれない。たとえば僕は、妻がぶっ倒れてやむを得ず料理をするとき、寝室とハンズフリー通話をつなぎ、向こうからの指示通りにロボットと化して作る。同じものをもう一度作ることしかできないが、それ以上のパワーはつぎ込まない。

パソコンの世界はその処理能力向上とともにベクターの活躍の場が広がってきている。人間もまた頭の中のベクター率を上げていくことが正しい進化ではないだろうか。

2017.10

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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