ぼくは昔から大相撲が好きで、若貴フィーバー以来、学校から帰ると一人テレビで相撲を観るような少数派の子どもだった。力士や取組だけでなく、行司や呼出、懸賞金、場内放送、決まり手など、相撲を取り巻く様々な仕組みにも興味を持った。オタク気質のぼくにとって、対象が何であれ、関心の持ち方はいつもこうだ。当時はまだインターネットもWikipediaもなく、近所の本屋でうんちく本を見つけては読みふけった。
あんな過酷な競技を自分でやりたいとは思わなかったが、勝負のスリルは味わいたかった。その欲求をゲームで満たすのが現代の楽しみ方だ。ぼくもファミコンの「つっぱり大相撲」で横綱昇進を目指した口である。ただ、相撲をある程度理解している者からすると、誰でも遊べるよう簡略化されたゲームはどうにも物足りなかった。特に気になったのは、相撲を「パワーの競技」と捉えた設計。とにかく押して連打すれば勝てる。1回の取組も長くなり、それは後続の相撲ゲームでも変わることがなかった。
しかし現実の相撲は、ほとんどが10秒以内で決着する。あれだけの体格を持ち鍛錬を積んだ者同士、パワーに大差はない。勝敗を分けるのは、体の角度、移動スピード、一瞬の身のこなしによる体勢の崩れ。つまり、相撲とはタイミングとバランスの競技なのだ。
BS放送が始まり、大相撲中継が昼13時から観られるようになると、幕下以下の取り組みも目に入るようになった。そこには、グレーのまわし、体格も一般の大人とさほど変わらない無名の力士たちが、行司の声だけが響く中、次々と登場して相撲を取っていた。彼らの姿から、幕内の力士や行司、呼出の「一人前」になるまでの長く厳しい道のりを、直感的に理解した。ちなみに、面白いしこ名の力士を見つけるには絶対数の多い幕下以下を見るに限る。
だが相撲ゲームでは、幕内下位からのスタートが定番で、十両や幕下の存在はそもそもない。「実況パワフルプロ野球」はルーキーから出世するからいいんじゃないか。相撲には番付という強烈なヒエラルキーがあるのだから、それをゲームで再現できたらもっと面白いのにと思っていた。
リアルな相撲ゲームを夢見つつも、自作するスキルはなかった。だがAIの登場で状況が一変した。「もしかしたら自分にも作れるかも」と思えた。相撲システム全体の構築は果てしないが、まずは取組のロジックから始めてみた。ファミコンの時代よりずっと演算能力が上がった現代のPC。30ミリ秒ごとにプレイヤーとCPUのパワーバランスを計算する設計にしてみた。
[押す][引く]コマンドを設定。[押す]で前進・加速・前傾、[引く]で後退・減速・後傾とした。当然、相手との力で相殺されるから、単純に前述のようにはならない。とはいえここまでなら、単なる押し合いの域を出ず、面白くない。そこで、押しすぎると前のめりになり、CPUに叩かれて前転するようにした。ここがこのゲームの一番の特徴であり、自分が希求していたものかもしれない。とにかく連打では全然勝てなくなるのだ。(「全然」と書いたが、ときどきがむしゃらに押せば勝てる時がある。これがまた面白い。) 逆に、相手の頭が低いときにこちらが引けば、今度は相手が前転する。こうして、タイミングとバランスの要素が入った。
さらに[突っ張る]で距離の概念を追加した。後退し、空間を作ることで、わずかな押しでも前転しやすくなる。逆に突っ張らずに密着して押せば、時折まわしが取れる。まわしを取ると、押しても前転しなくなり、安定して寄っていける。かなり有利になる。そのかわり、速攻せずにいたら、当然取られやすくもなる。そこで、[突っ張る]に「まわしを切る」機能も持たせた。
前傾していないときに[突っ張る]を押すと投げ技になる。後傾しながら突っ張る人はいないので、ボタンを使い分けられる仕組みにした。まわしを取っていれば投げの成功率は上がるが、失敗すると体が入れ替わる。こちらが不用意に突っ込めば、逆に投げられてしまう。
さらに、相手を吊り上げる[吊る]、腕を固める[極める]を実装。それに対抗する[掛ける](足をかけて崩す)も加えた。どの技にも対抗手段があり、万能はない。じゃんけんのように互いを打ち消し合い、状況に応じて使い分けが求められる。緊張感がある分、決まったときの爽快感はひとしおだ。
人の動きや考えをプログラムに落とし込むとき、意外なほど多くが「条件と結果」で表せることに気づく。それはつまり、人間の行動やルールが案外もとから論理的で、すでに「プログラム的」だったという発見でもある。相撲という身体的な勝負も、実は数式や反応の積み重ねでできている。それを再現することが、高速な演算によってより容易になり、だから面白いのだ。
こうしてようやく、相撲らしいゲーム性ができてきた。42歳にして、こんな楽しい遊びに出会えるとは。次回以降、番付システムについても書いてみたい。
2025.08