Webマガジン「月刊CAMNET電子版」
2018年から連載している記事のアーカイブです。

#29

デバッグは、子育てでも大事だと思う

パソコンのシステムやアプリの開発において、プログラムを組んでみたら、いきなり思い通り動いた、ということがもしあったならば、とてつもない奇跡だ。何度か修正を加えて、やっとまともになってくる。だがここで安心するのは早い。その挙動はあくまで組んでいる自分が入力をしたら、期待した出力が返ってきた、というだけだ。他の人が違った端末で入力をすると、新たな不具合が見つかったりすることがほとんどだ。これを繰り返して、ようやく完成の域に達する。

不具合を取り除いていく「デバッグ」作業でまず大事なのは、それは当然に必要な作業だと認識し、初期版のプログラムの挙動に過度な期待を持たないことだ。不具合があることにイライラしていては、冷静に直すことができない。そこに感情は不要だ。ただただ原因究明と対策のみがそこにはある。また、いろいろな人、端末で試行して、いわば「ストレステスト」をするわけだが、これは追求し始めるとキリがないことにすぐ気づく。人も端末も無限に存在するからだ。実際のデバッグでは、どこまでやるかについて、予め妥当なゴール地点を決めておいて、そこまでたどり着いたら良しとする、という見切りが重要だ。

子どもは、こちらがきちんと教えたつもりでも全然覚えてなかったり、言う通りやったけれど失敗を繰り返したりする。親がやっていることは、ずっと続くデバッグ作業のようなものだ。(これは重要で、肯定することと間違い指摘しないことはぜんぜん違う。)その際の親の気の持ち方は、伝えた情報以上にその後の変化に影響を与えるように感じる。

「こんなこともできないの」「なぜ言ったとおりやれないの」と苛立つのは、親も人間なので仕方のないところがあるが、そんなときは一度落ち着いて、前号で書いたように子育てをプログラミングと捉えてみたい。その責任はコードを入力したこちら側にしかないのだ。正確に伝わっているのに反抗する場合は、情報以上にこちらの向き合い方に問題があるとしか言いようがない。言うことを聞きたくないと思われたら、どうしたってうまくいかないからだ。本題の前にそれを解決しなければならない。

僕は、文字や言葉の使い方の間違いを指摘するとき、そこに何の感情も入れず、「それは〇〇ね」と真顔で言うように気をつけている。そこに苛立ちとか叱りが入ると、その記憶の作業自体を切り上げてしまって、意味がない。また、あまり面白そうにやると、失敗を笑われているように捉えて、これまた否定された気持ちになるらしいとわかったからだ。なんでも楽しければいいというものでもないのがおもしろい。また、正しくできるようになったときも、一度は「それでいい」「すごいね」くらいは言うが、同じことについて何度も褒めたりしすぎないようにしている。

目的はあくまで本人が正しい知識を持ったことに対して自信を持ってもらうことだ。パパのおかげではなく、自ら会得したものだと解釈してもらって、もっと覚えたい、繰り返したいという欲求を維持してくれることが望ましい。これを失敗すると、自分で調べたりする前に、親に何でも聞いて過度に依存してくる。徐々にさりげなくその場からフェードアウトするくらいでよいと思っている。

これは、少し話を広げると、「子どもの内発性を妨げない」ことにもつながってくる。というのも、子どもは最初、それがやりたくてやっているのだが、いつしか「親に褒めてもらいたい」という報酬の欲しさ(外発性)によって行動するようになってしまうことがあるのだ。それが極まると、ある程度の年齢になったとき、際限のない「自分探しの旅」なるものが始まってしまうだろう。

「ストレステスト」という面では、子どもはいろいろな場所、さまざまな相手の前で同じ間違いをする。そのとき、あるときは見逃してあるときは指摘するというのも、極力避けたい。何度でも同じ調子で、感情を入れずに指摘してあげる。そうしていれば、5度や6度目くらいでさすがに思い出して直るものだ。ある程度直れば、書き順など細かいところは自発的な学習に任せて、完璧は目指さないほうが良い。

子どもは、いつまでも教わる側でいるわけではない。こども園ではすぐ下級生ができ、事あるごとにお兄さんとしてあれこれ教える立場になる。前述のような親の態度は、このときに見事に再現されることに気づいて、少々ドキドキしたが、幸い「とても教え方が上手ですね」と先生に言われて、ほっとした。

ところで、この先だんだんとやりたいことも自ら選択して、親は見守るだけになっていく。そのとき、余程でない限り、「これはいい」「これはだめ」と絶対的な尺度で言うことから、「あなたがやりたいならいい」「なんでやりたくないのにやるの」と、子どもの気持ちとの相対的な距離によって物事の良し悪しを論じるフェーズへと変えていくことが大事だろう。それが自立への助けになるはずだ。

2022.04

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「パソコンオタクのなんちゃって哲学」は、とみっぺが2018年より、Webマガジン「月刊CAMNET電子版」に連載している記事です。

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